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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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豆醤里

                                中国:キリシタン関連地

日本人が味噌を作って暮らしていた!?


日本人が味噌を作って暮らしていたという地域。
今も小さな通りに「ミソ」の名が残っています。この日本人が国外追放されてやって来たキリシタンだったのか、それともその子孫だったのか、詳しいことはわかっていません。


豆醤里


キリスト教禁止令で国外追放となったキリシタンたちは、マカオとマニラに向ったのですが、より近いマカオにはマニラよりも多くの人々が流れてきました。

しかしマカオのイエズス会はキリシタンを神学校に受け入れなかったので、司祭を志す者たちはここから旅立っていき、それ以外の者たちは残ってマカオで生涯を終えたのです。

豆醤里からは天主堂も近いので、ここで信仰を持って暮らしていたのかもしれません。

マカオにある日本語由来の地名としては、他に「長崎街」という道がありますが、これは最近になって埋め立てられた地に、世界の港町の名前をつけたものなので、歴史的な地名とは言えません。



「ミソ」の名が残る

豆醤里の路地

豆醤里の路地



 現地への行き方
セナド広場から徒歩5分。大砲台街(通り)を北東方向に上っていき、大砲台街(通り)が史山斜巷(通り)へと名前を変える辺りの左手にあります。大人一人がやっと通れるほどの狭い小道です。


訪問の際は最新の情報を得るようにし、現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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