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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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イエズス会学院跡

                            中国:キリシタン関連史跡

イエズス会の神学校 コレジオの跡


東方宣教の拠点、マカオにあったイエズス会の神学校(コレジオ)の跡。聖ポール天主堂に隣接する場所に建てられていました。現在発掘が行われており、遺構の一部を見ることができます。
イエズス会はここからアジア各地へと宣教師を送り出し、キリスト教の布教を推し進めたのです。


学院(コレジオ)の跡


イエズス会の学院(コレジオ)の跡は天主堂の右手に残っています。コレジオとは聖職者を養成する神学校のこと。宣教師やキリシタンたちが滞在した場所でもあります。

当時は季節風に乗って航行していたので、宣教師らは風を待ちながら布教地の言語などを習得していました。

天正遣欧使節の少年たちも往復で合計2年間ほどの間ここに滞在し、ラテン語や神学を学びました。病死、棄教、殉教。帰国後の彼らに襲いかかる壮絶な運命を、誰も想像すらしなかったでしょう。

4少年たちの最後の生き残り原マルチノはここで晩年を過ごして聖ポール天主堂に葬られました。

中庭と回廊の跡


日本宣教を夢見る若者フェレイラが日本語を学び、神父になったのもここでした。日本に赴き23年間禁教下で勇敢な働きをしたものの、捕らえられ、穴吊りの拷問を受け棄教してしまいました。

「転びバテレン」となったフェレイラに課せられたのは、キリシタンの説得役。この神学校に入れてもらえずにローマまで行ったペトロ岐部の尋問にも立ち会うこととなりました。

岐部はフェレイラを非難し、悔い改めるようにすすめました。フェレイラはその場から立ち去り、岐部は穴吊るしでも棄教せずに仲間を励まし続けたので、穴から引き出されて殺されました。


天主堂跡とマテオ・リッチ像


伴天連追放令で離日した宣教師たちが日夜日本を思って祈っていたのもここでした。

日本のセミナリヨやコレジオで自分たちの生徒だった者たちが、殉教者となり、骨だけになって送られてくるのを、彼らはどのような思いで受け取っていたのでしょう。

現在学院跡にはここから北京に布教に赴いたマテオ・リッチの像が建てられています。中国では今も外国人によるキリスト教布教は認められておらず、カトリック教会も中国の独自組織によって司教を任命しています。



マテオ・リッチ像

コレジオ跡

コレジオ跡

コレジオ跡



 現地への行き方
セナド広場から徒歩7分。聖ポール天主堂跡の道を挟んだ右側にあります。


訪問の際は最新の情報を得るようにし、現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


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